足袋の端

最終更新日:2026-01-06

枯れ井戸の家

 新たな一年を直に迎えようとしている世間が浮かれ騒いでいる頃、城崎(しろさき) 圭一郎(けいいちろう) は仲間たちと寒空の下を歩いていた。彼らは皆、同じ大学の学部生で、学部やサークル、それにバイトなどのつながりで集まった面々が五人。クリスマスはもちろんのこと、年末年始を共に過ごす恋人の一人もいない、寂しい男たち。中には県外の地元に帰る予定もないという、男子学生もいた。そして目的地はこれまた同じ大学の、寂しい男子大学生の実家だった。なんでも、彼の家ならば仲間内で集まっても問題ないほど余裕があるのだという。

「その、川口ってやつの家、デカいってマジ?」

 城崎と同じバイト先の学生が好奇心を抑えきれずに口にする。彼は川口と直接面識がなく、そういう自分を実家に招いても問題ないとはどれほど余裕のある人間なのだろうと、半ば訝しみつつ楽しみにしているのだ。

「デカいっていうか広いっていうか、って感じらしいよ」
「要するにデカいってことじゃん」
「あいつ、車も持ってるんだよ。親に買ってもらったって」
「はあー……世界が違うわあ」

 城崎のバイト仲間は、わざとらしくため息を吐いて頭を振った。

「彼女とかいないの? 普通いるだろ」
「さあ。あんま、そういう話聞かんなあ」
「いたら俺らを実家に呼んだりしないっしょ」
「親御さんにきちんと挨拶しなきゃな」

 先頭を歩いていた、川口と最も親しい学生がおどけた調子で空中に三つ指をつく真似をする。

「お義父(とう) さん、お義母(かあ) さん! (たかし) くんをぼくにください!」
「欲しいのは金だろー」
「サイテー」

 野次に背中を押されてよろけたふりをしている彼を笑い飛ばす一方、城崎は頭の片隅で心配もしていた。

 ──別に俺らを呼ばなくても、年末年始は家族や親戚とかとゆっくり過ごせばいいのに。まさか、このお調子者のバカが、「宅飲みさせろ」と無理を言ったんじゃないだろうな。

 そんな懸念を抱きつつ、城崎は今にも雪が舞い落ちてきそうな月も見えない曇天の下を、仲間たちと共に歩き続けた。

 

 結論から言えば、城崎の疑念とも言える心配は杞憂だった。

 碁盤の目のように密集する住宅街から少し離れた地点に川口の実家は建っており、その大きさ、立派な門構えに怖気づいていた彼らを、川口は「待ってたよ」と温かく迎えた。

 家の中には彼以外に両親が二人いるだけであり、大学生の彼らが緊張しつつも挨拶をすると川口の父母は穏やかに、息子がいつもお世話になっています、今後とも仲良くしてください、というような当たり障りない言葉で応じた。道中騒いでいた連中もさすがに道化を演じるほど肝は座っておらず、「ハイ、ハイ」と素直に頷くのが精一杯だった。

「俺の部屋、二階だから」

 早く上に行こうぜ、と川口が催促するので、ニコニコとしている両親を尻目に、彼らは二階へと上がった。

 

 川口の部屋は広く、そして整っていた。

 部屋の持ち主に加えて、大学生になる男たちが五人突撃してもまだ余裕があり、大型のテレビは特別編成の番組を高画質に映し出していた。そこら辺のスーパーでは見ないような豪華に盛られたオードブルやピザが二つのテーブルを使って何皿も並べられており、脇にはジュース瓶とコップもあった。

「何も持ってこないでいい、って聞いていたけど、マジだったんだな……」

 身のやりどころに困った城崎はとりあえず入口に立ち尽くし、感嘆の声を上げた。

「っていうか、酒くらい持ってきた方がよかったかな……」

 仲間内の一人にそう言われると、川口は「気にしなくていいよ──」とひょいと一旦部屋を出たかと思うと、すぐに酒瓶を手に引き返してきた。そして「酒もばっちり用意してるし」とニヤッといたずらっぽく笑った。どうやら二階の別の部屋に、冷蔵庫もあるらしい。

「ようし、じゃあ始めるか!」

 演技ぶった調子で一人が勢いよく拳を掲げて、飲み会は始まった。

 

 「なあ、めちゃくちゃ騒いでるけど、大丈夫?」

 飲み会が始まってしばらく経った頃、城崎は川口に尋ねた。普段ならありつけないような飯や酒を前にした彼らは、いつもよりも賑やかに騒ぎ、また、慣れない洋酒をハイペースに煽っていた。川口とは初対面だった学生もすっかり彼には馴れ馴れしくなって、赤く上気した顔で「お前めっちゃいい奴だなあ!」と、空いたオードブルの皿や酒瓶を新たにして運んできた川口に今にも肩を組まんばかりに絡んでいる。

「んー、大丈夫、大丈夫。心配してくれてありがとうな」
「お父さんとか、怒ってない?」
「大学生ならこんなものだろう、って」

 酔っ払った別の一人が、「理解ありすぎだろー」と川口に甘えるようにしなだれる。それを城崎は首根っこを掴んで引き離すと、川口をソファに座らせた。というよりも、酔いが程よく回ってきた彼自身が、ソファに座り背もたれに身を預けたかったのだ。

「ま、ま、ま……とにかく今日は、お世話になっておりまぁす!」
「めっちゃ酔ってるじゃん」

 脱力して形だけの敬礼をした城崎に、隣りに座る川口もまた赤い顔でケラケラと笑っていた。しかし突然、ふ、と真面目な顔になると、まるで独り言のように川口は呟いた。

「あの窓から見える、向こうの家の庭の井戸……あれ、枯れてるんだ」
「うん?」

 城崎が気怠げに横を向くと、川口と目が合う。すると彼は「あの窓」と部屋の一角にある窓を顎で指した。

「だから、閉めてあるんだよね」
「ふうん……?」

 川口の言う「あの窓」は今、カーテンが閉められている。だから城崎は当初、「閉めてある」のがカーテンのことだと思い、脈絡のない話を振ってきた川口の言いたいことがわからず曖昧な返事をした。それに川口も気がついたのか、すぐに「あ、閉めてあるっていうのは井戸のことだよ」と訂正してきた。

「井戸を、閉める?」
「あー……要するに、水が流れなくなったから使わなくなって、転落防止に蓋をつけたってこと」
「へえ……」
「その蓋がさ、すごいんだよ。金網なんだけど、公園のフェンスなんかに使ってあるような網目の大きいものじゃなくて、網戸か、ってくらい網目が細かいんだ」

 やや興奮気味に川口は両手を広げ、その蓋の大きさを示して見せた。

「まあ、そんだけ目が細かいなら、落ちる物もなくていいんじゃね?」
「それだったら板で完全に塞げばいいと思わない? それにさ、その家、中年の夫婦が住んでいたんだけど、その蓋をした井戸を明け方に、じいっと見つめていたりしたんだよ」
「え、何、何で?」
「いやだから、見てたんだって。蓋を。別に手を合わせてお参りをしているとか、呪文を唱えているとか、怪しい風ではなかったんだけど……ぼーっと見てたんだよなあ」
「夫婦揃って?」
「いや、必ず二人揃って、ってわけじゃなかったかな。でも、最低でもどちらかが毎日のように見てた。ここから直で見えたからさ、覗くつもりはなかったんだけど。……まあ、見てたんだよね」
「ふーん……そう……」

 相槌に困って、城崎は手近なスナック菓子に手を伸ばし口に運んだ。それでも川口は、その井戸の話を続ける。

「そこで亡くなってたんだよね」
「え……?」
「夫婦のどちらが亡くなったのかまでは聞かなかったんだけど、片方が亡くなって、残された方は引っ越していって……で、井戸はそのまま、そこにあるんだよ」

 川口も身を乗り出し、城崎がつまんでいたポテトチップスの袋から一枚摘むと、かじった。

「全部取り壊せばいいんだけど、どちらかの親戚の人が管理してるみたいでさ、井戸も蓋も、そのままなんだよ。管理しているんだから住むなり何なりしたらいいのにね。しかもその人、夜間は絶対、そこの家に近づかないようにしているみたいなんだ」
「おお……」
「怖いだろ?」
「……怖いね」

 すっかり酒の抜けた気持ちで、頭の中で川口に突っ込みながら城崎は素直に頷いた。

 ──なんで今、こんな話をしようと思った!?

 驚いてソファで目を白黒とさせている彼をちらっと見やると、川口は立ち上がり、テレビゲームに興じて騒いでいる者たちのそばに行った。

 そしてまた、何気ない調子で、たった今城崎に話したばかりの井戸の話を繰り返しているようだった。

 ──ひょっとすると、家にお邪魔して騒いでいる自分たちに冷水を浴びせ、さっさと解散させたいのかもしれない。

 ふとそんなことを考えた城崎だったが、空いた隣に別の学生が勢いよく座ってきて、彼の見たこともない、海外の高そうな酒と共に恋愛論について熱弁を振るってきたせいで、思考は再び宴会の喧騒に飲まれていった。

 

 馬鹿騒ぎがようやく収まってきたのは、日付が変わり深夜の二時を過ぎ三時にもなろうか、という頃だった。その頃には川口はすっかり出来上がっていたようで、ソファの上でぐったりと伸びていた。一方、他の面子はぼちぼちと線香花火のような会話を繰り返しており、いよいよ話の種がなくなってきたところで、場の誰かが「そういえばさあ……」と先程川口から聞いた話を持ち出してきた。

「あー、何か言ってたな。井戸のこと」
「そこ、行ってみない?」

 一人が勢いよく立ち上がり、カーテンの隙間から窓の外を覗くと、はしゃいだ声を出した。

「お、マジで井戸あるじゃん。ていうか、向こうの家もでけえ」
「マジで? マジで?」

 一同わらわらと窓際に群がると、「マジだ」と静かにささやきあった。暗闇の中ディティールまでは見えなかったが、たしかに川口の話した通りの井戸があるようだ。

「でも、門は閉じてね?」
「いいじゃん、とにかく行ってみようぜ」

 家人を起こさないようそろそろと部屋を出、階段を降り、ひっそりとした廊下を渡り家を出ると、城崎たちは寒々とした空気を浴びつつ、部屋の中から見た方角を頼りに歩きその家まで向かった。

 当然といえば当然だが、彼らが白い吐息を吐きつつ着いたその家の門は鍵がかけられていた。振り向き仰ぐと、先程まで騒いでいた川口の家が一軒だけ、部屋のカーテンの隙間からかすかに明かりを漏らしている。

「おい。こっち、こっちだ」

 集団から離れてその家の周囲をぐるっと見て回っていた一人が、他の面子を小声で呼び集めた。見ると、路地から庭に通じる木戸口には鍵がかけられていなかった。しかし随分長く放置されていたのか、その木戸口はちょっと押しただけでは動かず、力を込めて押すと、ばき、という木戸の一部が折れる音と共につんざくような木材の軋む音があたりに響き渡り、城崎たちは慌ててその場に一時停止した。

 幸い、川口一家が起きてくるような気配はなかったので、更に慎重になり身を滑らせて、彼らは井戸のある家の庭へと侵入した。

 「井戸、井戸」と呟きながら発見した井戸は、たしかに川口の話した通りだった。細かい網目をした金網が、井戸に覆いかぶさるように置いてある。この様子では、不注意で井戸の中に何かを落とす、ということはないだろう。

「へえー」

 一瞬だけ感心したものの、すぐに彼らは虚しくなった。何が悲しくて年明けのおめでたいこの時に、寒い思いをしてまで枯れた井戸を見るために不法侵入をしているのだろう、と。

「……じゃ、帰るか」
「おう……」

 我に返った彼らは、来年は恋人でも作ってこんな気分を味わわないようにしようと誓いあうと、再び足音を忍ばせ川口の自室へと戻った。

 川口は、先程まで伸びていたソファから移動して自分のベッドで入って完全に眠っているようだった。

「俺らも寝ようぜ」
「お休みー」

 その日は、城崎たちは泥のように眠ることができ、翌朝、彼らは何度も邪魔をした礼を述べ川口家を後にしたのだった。

 

 城崎に起きた異変は、自室に戻ってきた日のことだった。

 城崎は気がつくと、薄暗い円形の、狭い空間にいた。周囲は両手を広げたほどしかなく、足元はぬかるみのようだった。どうやら穴のような空間の底にいるらしい。

 つい先程まで講義に遅れることを心配して駆け足気味だったように思うが、気がつけば何故か囲まれた空間に閉じ込められている。

「えー? おーい、誰かいませんかー」

 周囲の壁をよじ登っていけるような力は城崎にはない。見上げると、ちょうど月が雲間から差しているところだった。

 ──あ、ここ井戸の中か。

 明かりに照らされて、一本の細い紐が上から垂らされていることもわかった。

 紐は、ちょうど井戸の中心に上から垂れてきている。しかし、井戸の外でこの紐をどのように留めてあるのかよく見えない。誰かがどこかで手に紐を持ち、垂らしているのだろうか。

 ──早く行かないと講義に遅れるんだけどなあ……

 垂れている紐の端は、彼がジャンプをすると届きそうな位置にある。しかし、もしその紐に掴まりでもしようものなら、彼の体重で切れてしまうように思われた。

「おーい、おーい」

 誰かがいる気配はない。誰かが来る気配もない。

 だんだん、城崎は自身の置かれている環境のおかしさに気がつき始め、そしてとうとうこれが夢の中だということに気がついた。今まで夢特有の妙な納得をしてしまっていたが、夢だと気づけばこれはこれで不条理な夢だと憤った。

 ──どうせなら、もっと楽しい夢とかさあ……

 そんな文句を思い浮かべながら再び井戸を見上げたところ、紐に掴まった幼い女の子の背中が、先程まで見えていた夜空を隠していた。

「えっ?」

 彼女は井戸の上の方にいて、両手と両足を紐に絡めてその場に留まっている。

「ちょ、危ない! 危ないよ!」

 城崎が声をかけても彼女は何も応じない。少女の後ろ姿に城崎は見覚えはなかった。しかし知らない子とはいえ、万が一にでも紐が切れて落ちてきたら大事(おおごと) だと思い、彼は何度も紐に掴まっている少女に声をかけた。

「危ないから戻って!」
「誰かー! 誰かいませんかー!」

 いつ落下してくるともしれない彼女の背中をじっと見つめていたおかげで、城崎は彼女の背中がかすかに震えていることに気がついた。

 ──ずっとあの細い紐に掴まり続けていて、もう限界なんだ。

 いよいよ危ない状況になった。いつ彼女が紐から落ちてきても大丈夫なように、城崎は両腕を広げ、彼女を受け止めようとする体勢を取った。その次の瞬間。

 

 ──ボォォォォォン──ボォォォォォン──ボォォォォォン──

 

 古い家にある柱時計が発するような鐘の音が、井戸の中の城崎に聞こえるほど大きな音で鳴り始めた。

 そしてその音を合図に、紐に掴まっていた少女は両手をぱっと紐から放したかと思うと、両足だけを紐に絡ませたまま逆さ吊りになり、まるで蜘蛛が糸を垂らして下りてくるように、そこから一直線に紐を下ってきた。

 上下逆さまになった少女の顔が、城崎の顔の正面までやってきて──

 

 「わああああっ!!」

 城崎は汗に塗れてベッドから跳ね起きた。夢の中ではたしかに、その少女の顔を見、表情まで見たはずなのに。この瞬間にも、たった今見たはずの夢の記憶は霞んでいってしまっている。

 今までにないくらい心臓が脈を打ち、まるでそれが警報のように城崎は感じた。

 ──あの井戸だ。

 気がついた瞬間に携帯電話を掴み、城崎は川口に直接電話をかけていた。部屋の中はまだ真っ暗で、画面の時刻表示も明け方の五時頃を示している。それにも関わらず、川口はいたって普段の調子で電話を取った。

『はい、もしもし』
「あっ、川口。俺だけど、あのさあ──」
『何か、あった?』
「いや、実はちょっと……あー……関係ないかもしれないんだけどさ、井戸の夢見たんだよ」
『井戸?』
「うん。井戸。ほら、お前が話してくれたじゃん、なんか網で蓋してある井戸の話……俺、夢で多分その井戸の中にいてさあ。なんか女の子が上から紐に掴まってて、時計が鳴って──」

 寝起きということもあり、城崎は要領よく夢の仔細を伝えられなかった。しかしそれでも、川口は何度も相槌を打ちながら話を聞いていた。

「──っていう夢だったんだけど……」
『うん……うん……そうか。いやあ、そうかあ。良かったなあ。お前、一番乗りだよ』
「は?」

 城崎はそこでようやく、川口の態度がずっとおかしかったことに気がついた。

 年の暮れに仲間を実家へ呼んだ理由。
 急に井戸の話を振ってきた理由。
 ソファで寝ていたはずが、ベッドに潜り込んでいた理由。
 早朝にも関わらず、すぐに電話を取れた理由。

 彼の頭の中で、疑問たちが点となり一筋の線で結ばれようとする。それを防ぐかのように、城崎は怯えながらも大声で電話口の向こうの川口に怒鳴った。

「な、なんだよ!? 一番乗りって!」
『ああ────それは────────』

 

 ──ボォォォォォン──ボォォォォォン──ボォォォォォン──

 

 突如、電波の向こう側で、川口の言葉をかき消すほどに大音量の、古い柱時計の鐘の音が、鈍く狂ったように何度も繰り返し鳴り響いた。川口の淡々と語る言葉も、城崎の悲鳴もすべて、すべてを飲み込み鐘の音は鳴り続ける。城崎は、川口との通話を打ち切るほかなかった。


出典

配信回: 禍話REBORN 第十二夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/828941104
タイムスタンプ: 37:17 - 50:40