足袋の端

明るい部屋の中

 その部屋の明かりは、「常に」点いているのだという。

「常に?」

 大学1年生の村上は、好奇心に駆られてオウム返しにサークルの先輩である角田に聞き返した。

「俺も毎晩、電気点けたまま寝てますけど」
「馬鹿。常夜灯じゃなくて、どの時間帯も普通に電気が点いているっぽいんだよ」

 角田が初めてその部屋の存在に気がついたのは、仲間内で宅飲みをしたその帰り道でのこと。日付も変わった深夜にぶらぶらと帰路を歩いていると、とあるアパートの1階の角部屋が煌々と灯っているのに気がついた。その光景が印象に残ったのだという。

 それからその道を通るたび、ついその部屋の様子を伺うのだが、宵の口だろうが明け方頃だろうが、その部屋の明かりは必ず点いているらしい。

「さすがに昼間はわからないんだけどさ」
「……え、それだけ?」

 (いささ) か拍子抜けした思いで、村上は先輩をからかった。

「気にしすぎじゃないっすか」
「それがなあ、窓もカーテンもいつも開いてるんだよ」

 部屋の窓は開け放たれカーテンも開いているので、窓のそばに置いてあるエアロバイクのハンドルらしき部分が、日中にちらりと見えたのだという。だが、そのアパートの立地はそばを通る道路から少し高く、歩道に面している窓からその部分がようやく見える程度で、それ以上部屋の中を(うかが) うことはできないらしい。

「電気と同じで、年がら年中開いてるっぽいんだよなあ。しかもさ、線香の臭いも時々あの部屋からするんだよ。外まで漂ってくるから、あそこ通れば誰だって気になるぞ」
「それキモいっすね。もしかしてお経とかも聞こえるんですか」
「いや、お経までは聞こえない。窓開けてるのにテレビの音とか全然聞こえないし、めっちゃ静か」
「へえ……」

 ──面白そうだな。

 角田からアパートの住所を聞き出すと、村上は早速その部屋について調べだしたのだった。

 

 「──俺、隣に住んでるよ。107号室のことだろ?」

 村上が調べだしてすぐに、そのアパートに住んでいるという人物が見つかった。サークル仲間を通じて知り合った、別学部の白井という男子学生で、大学進学を機にそのアパートで一人暮らしを始めたという。しかも彼の借りている部屋106号室は、問題の部屋の隣だというのだ。

 村上はその白井に学食で昼飯をおごる代わりに、その部屋のことについて聞き出すことにした。

「あの部屋ねえ……まあ、おかしいよねえ。うん、電気もそうだし、住んでるやつもおかしい」
「お、やっぱりそうなんだ。どんなやつ?」
「どんなっていうか……本当に生きてるのか、ってくらい物音しないんだよ。俺的にはまあ、ありがたい話ではあるんだけど、不気味だよな」
「それ、実際に誰も住んでない、とかではないの?」
「いやあ……住んでいるのは間違いないんだけど……」

 言葉を濁して、白井は「うーん……」と唸った。

「ど?」
「……いやさ、こっちに越してきたばかりの頃、ちょうど入口の集合ポストの所に人がいたから、『こんばんは』って挨拶したんだよ。そしたら、その、男だったんだけどさ、『こんばんは! 107号室の●●●です!』って、めっちゃハキハキ挨拶を返してきたわけ」

 当時はまだ、白井はその部屋の明かりが毎夜煌々と灯っているのは知らなかったものの、フルネームを名乗り妙に元気のある挨拶を返してきた男と107という隣の部屋の番号は強く結びついて記憶に残ったのだという。

「で、それから一週間もしないくらいかな。夜帰ってきて部屋の鍵開けていたら、ちょうどそこに女が来てさ──」

 

 その女の顔は白井が初めて見るものだった。何気なく顔を向けた白井と視線が合うと、女はにこやかに挨拶をしてきたのだという。

「こんばんは!」
「あっ……こんばんは」

 勢いのある挨拶に白井が戸惑いつつも返事をすると、女は朗らかな表情を浮かべたまま、

「107号室の■■■■です!」

 と、以前男が名乗ったものとは異なる名字のフルネームを名乗り、唖然とする白井の横を何気ない様子で通り過ぎると、107号室のドアを開け、自然な素振りで中に入っていったのだという。

 

 「別の名字? じゃあ同棲中とか……」
「それならそれで、何か音聞こえて良さそうじゃん? 二人も住んでいるんだったら。それに、集合ポストのとこに名前書く欄があるんだけど、そこに書いてあるのも俺が聞いた男のとも女のとも違う名字なんだよ」
「おお、ちょっと怖いな」
「んー、ただまあ、ウチ安いからなあ。なんか、色々な人がいるんだろ、って感じであんま気にしないようにはしてる」
「……なあ、それ、確かめに行っていい?」
「え、いや、そういうのは、なあ。部屋に突撃するわけにはいかないし」
「じゃあ、外からならどうよ」
「あー……」

 道路から直接部屋の中を覗くことはできない。しかし、歩道に面した窓の枠に手をかけ顔だけでも上に出せば、内部を覗けるだろう。当然、それを見咎められた場合は問題になるのだが。

「……それ、何らかの法律に引っかかるだろ」
「そこはほら、『たまたま』ってことでさ」
「どんな『たまたま』だよ」
「ちょうどいい感じの窓枠があったら、それを使ってリポD的な『ファイト一発』をやりたくなるとか、懸垂をやりたくなるとか、あるじゃん?」
「ねえよ!」
「いやいや、あるよ」

 村上は大真面目に言い切ると、半ば無理やり、白井との予定を取り付けたのだった。

 

 数日後の深夜、二人は件の一室の方を離れた道端から見ていた。部屋のそばにはまだ近づいていない。というのも、部屋の窓が開け放たれている以上、近くで話しているとその声を部屋の主に聞かれるのではないか、と危惧したのだ。部屋からは電灯の光がありありと溢れているし、線香独特の、むせるような臭いも漂ってくる。

「まじで線香の臭いするんだな」
「本当に中を見る気?」
「確かめないといけないじゃん」
「……悪いけど、俺はここにいるわ。何かあって隣の人と揉めることになるの嫌だし」
「おっけ。被害を被るのは俺ってことで」

 実態は加害側なのだが、そんなことは微塵も気にせず、村上は足音を忍ばせスルスルと問題の部屋の真下まで歩を進め手を伸ばし窓枠を掴むと、息を吐きながら身を持ち上げ、107号室を覗いた。

 白井は遠巻きに、その様子を眺めていた。

 頭を部屋の中に入れて部屋を観察しようとしていた村上から、「……えっ」と驚いたような声が漏れる。不測の事態かと白井が身構えた次の瞬間、村上は「えっ、はっ? はぁっ!?」と小さな悲鳴を上げ、すぐさま顔を引っ込めると窓枠から手を放し、着地すると小走りで戻ってきた。

「やばいやばいやばい」
「ど、どうした」
「いややばいやばい、帰ろう、帰ろう」
「なんだよ、何がやば──」

 白井も少し声を荒らげて村上に問おうとしたその瞬間、107号室の部屋の明かりがぷつりと消えた。そして二人が息を呑むのと同時に、暗闇の向こうでカーテンが音を立て、勢いよく閉められた。

「……」

 それきり、何事もなかったかのように静かさが戻ってきたが、二人はその場に留まることはできず、何も言わずに互いに顔を見合わせると、近くの公園へと早足で向かった。

 

 公園にたどり着いた二人は、言葉をかわさずにただ黙って並んで公園のベンチに座った。

 村上は部屋の中でよほどのものを見たのか、唇を真っ青にしてガタガタと震えている。

「大丈夫か」

 白井が背中をさすってやると、首をガクンガクンと縦に振って返事をするが、真一文字に結んだ唇を開こうとはしなかった。

 しばらくそうしていたが、村上はやがて顔を上げると白井に部屋の中で何を見たのか語り始めた。

「……部屋の中を覗いたら、思ったとおりに窓のそばにエアロバイクがあって、で、テレビとか冷蔵庫とかもあって、普通の部屋っぽかったんだけど……全部、電源が入っていなかった」
「え、なんで」
「どれも電源のコードが束ねられていて、上に置いてあったんだよ……電化製品全部。几帳面な人間がまとめたんだろうな、って感じで全部同じように……ただ『置いてある』だけって感じだった」

 村上は自分の見たものを振り払うかのように頭を振った。

「それで俺、思わず『え?』って言っちゃったじゃん」
「あ、ああ」
「最初誰もいなかったんだけど、俺の声が聞こえたのか、部屋の住人出てきて」
「マジで?」
「中扉の向こうの、トイレか風呂場か知らないけどさ、そこから男が出てきた。携帯持ってて長髪で……そいつ、俺と目が合ったら、『あ』って言って、急に誰かに電話かけはじめるような動きをしたんだよ。それで俺慌てて……」
「は? ……それ、警察とかに連絡入れてたのかな……」

 面倒なことになったな、と白井が顔をしかめていると、村上は、

「……いや……どうだろ……」

 と声を絞り出すようにして呟いた。

「あの部屋、多分、人が普通に生活しているような『フリ』をしているだろ。だから、あの男の電話も、かける『フリ』だったんじゃないかなって……なんとなくだけど、そう思う」

 村上は言い終えると、「……気色悪い」と吐き捨てて押し黙った。

 二人はそれから部屋の話題を口にすることを避け無難な話題に終始したが、「これからも部屋は『フリ』を続け、明かりも点き続けるのだろう」という確信にも似た予感が、頭の片隅で鉛のように重力を放ち続けていた。


出典

配信回: 禍話フロムビヨンド 第十三夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/802947573
タイムスタンプ: 26:10 - 36:35