備品箱
私がまだフリーターをしていた頃のことだから、平成の中頃の話になる。もうだいぶ昔のことだ。
ある時、給料が比較的よいビルの夜間警備員バイトの募集を見つけた私は、それに応募した。何も問題はなく、面接を無難に済ませると採用の連絡があり、数日後の夜、早速そのビルへと向かったのだった。
私の職場となるビルはオフィス街から外れた場所にあり、更にそこは昭和の頃で時間が停止しているかのような寂れ具合だった。
内心、わざわざ警備する必要があるのかと思ったくらいだ。
私に業務内容を指導することになった先輩にあたる人も、「最低限、業務として決められたことをやっておくだけでいいから、気楽なもんだよ」と鷹揚に言うほどだった。
週に3日ほどのそのバイトは、夜間勤務といったことを除けば本当にのんびりとしたもので、私は「これは割の良いバイトにありつけた」と喜びもしていた。
ただし、一つだけ不満があった。そのビルにある休憩室を使うことができなかったのだ。
と言っても、別に先輩方から「お前の席ないから」と私がのけ者にされたわけではない。
「休憩室はあるんだけど、使わない方がいいよ」
と、先輩方はその部屋を使っておらず、私も同様に使わなかっただけだ。鍵こそかけられていないが、休憩室はその名に反し、半ば開かずの間と化していたのである。
当初は先輩と組んで警備にあたっていたものの、すぐに一人で任される日も増えるようになり、バイトはいよいよ気楽なものとなった。喋る相手のいない一人の時はいっそ、退屈と言ってもいい。
夜でもまだ熱気の残る秋口だったと思う。
こういうのを小人閑居と言うのだろう。ある一人の番の時、つい出来心で、私は休憩室の様子を覗いてみることにしたのだ。
その部屋は聞いていた通り、施錠はされていなかった。ひょっとして電気が通っていないのかな、と思い明かりをつけてみると、すぐに蛍光灯が灯る。
と同時に、私は休憩室を使わない方がいいと先輩方が言っていた理由を察した。
何箱もの段ボール箱がいくつも山を作り、部屋いっぱいに積まれていたのだ。
申し訳程度にコンパクトなデスクと椅子が一組だけ片隅に置いてあるものの、それ以外は段ボール。しかも、私の身長ほどに高く積まれている山がそこかしこにある。
ここに置かれてからどれくらいの年月が経っているのか知らないが、段ボール箱にはどれも『備品』とマジックで記されていた。
「うお……」
とにかくまず、圧迫感がすごかった。地震でも起きれば崩れてきた段ボールに押し潰されそうだ。
とはいえ、エアコンの電源を入れると稼働する。段ボールの山に阻まれて冷気がやってこない、ということもない。私はこじんまりとした椅子に腰をかけると、物言わぬ段ボールたちに囲まれて一服したのだった。
「え、きみ、あの部屋使ってるの?」
それから数日後のこと、先輩と二人で警備にあたった時に「休憩室を使った」と事後報告すると驚いた顔でそう言われた。
「使わない方がいい、って教えられましたけど、立ちっぱなしっていうのも疲れるんで……」
「気にならないタイプなんだ」
「まあ、結構高く積んでるし、休憩している時に地震があったらやばいかな、とは思いますけど」
「あ、いや。あそこ、段ボールと段ボールの間をなんかチロチロよぎるような感じとかしなかった?」
「へ? ネズミとか出るんですか?」
「違う。お化けのことだよ。お、ば、け」
私は面食らって、反射的に「お化けですか!?」と聞き返していた。
「あー……このビルのこと、知らない感じ?」
「いやいや、全然知らないですよ。正直、楽そうだなってだけで選びましたし」
すると先輩は、「俺も詳しいことは前いた人から聞いたんだけど」と前置きして話し始めた。
「昔ここ、貿易会社が入っていたんだよ。夫婦経営で、社員も5人くらいのこじんまりとしたものだったそうだけど。で、ある日、全員が一斉に失踪しちゃったんだって」
「いきなり急っすね……」
「なんかやばいモノを取引をしていたとか、そういう噂もあったそうだけど、実際は知らないよ。とにかく、みんな急にいなくなっちゃった。そして事務所には書類やら仕事道具やらがそのまま残ってたわけだ」
「ああ、それで」
「そう、休憩室のあの段ボール、全部その会社の『備品』だったらしい」
「備品っていうか、もうそれ遺品じゃないですか」
「そうだよなあ……だから、ビルのオーナーも処分できなかったんだろうな。その会社にあったもの全部、ロッカーに残っていた服とかも何もかも、段ボール行きになったらしいよ」
おそらく、当初は「ひとまずそこに置いておこう」という判断だったのだろう。しかし一度捨てることを先延ばしにすると、後からではそれをなかなか捨てられなくなる、というのが人の心理というやつである。
それで休憩室には今も、段ボールの山が放置されたままになっているのだろう。
そしてお化けが出る、ということになってしまったわけだ。
「まあそういうわけだからさ、使わない方がいいよ」
「そうですね……」
後悔先に立たずとはこのことだ。
それからは、「一人で警備に当たる時はちょっと退屈だな」などとは口が裂けても言えなくなった。巡回で休憩室の前を通るたび、私は緊張し息を潜めるようにして歩くはめになってしまったのだ。
しかし一方で幸いなことに、しばらくの間は何事も起きず、「本日も異常なし」を判で押したような日が続いた。
そんな平和な日々が崩れたのは、先輩から詳しい話を聞かされてしばらく経った頃のことだった。
その日、一人で警備にあたっていた私が休憩室の前を通り過ぎたところ、部屋の中で何かが床に落下した音がした。
夜中の3時過ぎである。
初めての異常事態に、私は少しの間その場に立ち止まり、閉じられた休憩室のドアをじっと見つめていた。
古くなった段ボールの山の一部が崩れたのだろう。
理性的に考えればただそれだけのことのはずだが、「何かがいたら……」と思うと、ドアノブに手をかけるのは躊躇 せざるを得なかった。
しかしバイトとはいえ警備員として雇われている以上、知らぬ存ぜぬで確認しないわけにもいかない。
意を決してドアを開け確認すると、やはり、段ボールが一箱、横になって床に転がっていた。他に異様なものは見当たらない。
長くその場に留まりたくなかったが、私はせめて床に転がっている段ボールをきちんとした場所に置いてやろうと思い、それを手に持ってみた。
「えっ?」
持ち上げた瞬間、その軽さに驚いた。先ほど聞こえてきた音から、てっきりそれなりの重量があると思って抱えた段ボール箱は、ほとんど段ボール箱自身の重さしか感じられなかったのだ。しかし箱には他のもの同様、「備品」と記されている。
軽く左右に振ってみると、中で何かが転がる音がする。
その段ボール箱はガムテープで閉じられておらず、蓋になる部分の長辺と短辺を互い違いになるように折り込まれているだけだったので、開けるのは容易かった。
見てみると、一本のドライバーが入っているだけだった。持ち手の部分にかつての持ち主であろう人名が書いてあるだけの、何の変哲もないドライバーだ。
「はあ?」
試しに他の段ボール箱を確認してみたところ、小物が一つ二つだけしか入っていない不自然な段ボール箱は、いくつも見つかった。
いくら当初は捨てがたかったとはいえ、このような形で何年も保管している意味が、わからない。
恐ろしくなり逃げるように休憩室を飛び出した私は、その日の業務日誌に休憩室の段ボール箱が一つ落ちていたので元に戻したこと、その箱の中にはドライバーが一本だけ入っていたことを記した。
とてもじゃないが、自分ひとりだけで抱えておきたくなかったのだ。
その日、日が昇る頃アパートの一室に戻ってきた私は泥のように眠り、次に目を開けた時には、その日の夜の10時にもなろうかという頃合いだった。
いつもなら近くの道路を行き交う車の音で昼頃には目が覚め、カーテンを閉め切っていても薄明るい部屋の中でゴソゴソとしているのだが、この日に限って熟睡していたらしい。部屋も外も真っ暗で、静かなものだった。
──変なもの、見ちゃったな。
段ボール箱を持った時の感覚と中に入っていたドライバーは、一旦寝てもすぐに記憶から這い出てこようとする。ベッドの中で目を閉じたままでいるとあの休憩室の光景が瞼の裏側に浮かんできそうで、起き上がり部屋の明かりをつけた。
……何か、忘れているような気がする。
中途半端な時間だしどうしようかな、と思案していると、ふと、そんな不安がよぎった。
いや、何も忘れてはいない。そう自分に言い聞かせるのだが、どうも素直に自分で自分の思考を飲み込めない。
ためしに、玄関を確かめに行ってみると、鍵はきちんとかかっていた。
窓もすべて閉めてある。
防犯は問題ない。
じゃあ、何だ。
台所も洗面所も蛇口はきちんと締めてあり、水がポタポタと垂れているわけでもない。部屋の明かりは確かにさっきまで消えていたし、ゴミの収集日は今日ではない。
一つ一つ部屋の中を確認して回れば回るほど、私の抱く不安は焦燥感を伴い危機を訴えだし、冷や汗が背中を伝い始めた。
ガスは漏れていない。元栓は締めてある。
漏電をしているわけでもない。電気は問題なく使えている。
上階からの水漏れもない。見上げてみても、天井にシミがあるとか、異常な様子はない。
タバコの火の不始末もない。
これだけ確認しているのに、不安がずっとつきまとう。しまいには、家具の引き出しや戸をすべて開けて、確認しだしていた。
トイレも風呂場も、衣装ケースも何もかも。
そして台所のシンクの下にある開き戸をあけて、ようやく、不安の原因を発見した。
段ボール箱。
「備品」と黒のマジックで書かれ、ガムテープでしっかりと封のしてある段ボール箱が、そこに鎮座していた。
これだ。これを、今すぐ外に運び出さなければ。
追い立てられるようにそれを抱えようとするが、とても重い。休憩室で手に取ったものより遥かに重い。まるで、幼稚園児くらいの子供が中でうずくまっているのではないかと思うほど、重い。
これは絶対に外に出さないといけない。
もはや使命感とも言ってよかった。
震えながらも必死にそれを抱えると玄関まで持っていき、鍵を開けるとやっとの思いで段ボール箱を部屋の外へ放りだした。
そこで私は、目が覚めた。
ベッドの中に、私はいた。
いつから夢を見ていたのかわからないが、心臓は激しく脈打ち、額から脇から汗がだらだらと流れている。そして両手は、まるでさっきまで重い荷物を抱えていたかのような痺れを感じていた。
ベッドから飛び出すとすぐに私は台所の開き戸を確認した。
開いているのだ。
そこに段ボール箱こそ無いが、夢の中で自分が開けた通りに、流しの下の戸は開いていた。
慌てて玄関も確認しに行ったが、そちらはきちんと鍵がかけられていて、問題はないように見える。
ちょっと落ち着こう、と自分に言い聞かせ深呼吸をしようとした次の瞬間、外廊下、玄関の扉の向こう側から、音がした。
──ペリペリペリペリ……──
ガムテープを剥がし封を開ける音に悲鳴を上げると、私は奥の部屋と逃げ込み、ヘッドホンを装着して音楽をひたすら流した。ボリュームを上げ、今聞いた音を脳裏から追い出すように。
翌日、バイトを辞めたい旨を理由も言わず職場に電話で伝えると、特に引き留められもせず、あっさりと了承された。
よくあること、だったのだろう。
出典
配信回: 真・禍話/激闘編 第2夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/375399790
タイムスタンプ: 27:40 - 38:00
